2023/4/3 Mon 00:04
NHKの子ども向け番組にまさかの猥褻写真が挿入されていた?★DVDも回収へ★放送事故伝説…の巻









話題:芸能ニュース








映画やドラマなど、世間から「名作」と呼ばれる作品は何度も再放送が行われたり、ソフト化が行われるなど、時代を越えて愛されていくものである。

だが、中には「制作当時の演出」が時代を越えて問題が発覚。

大トラブルに発展するケースもある。

現在も放送されているNHKの『みんなのうた』。

1961年の放送開始から60年以上の歴史を持つ長寿番組で、特徴は楽曲に合わせたアニメーションが新規制作されることである。

『山口さんちのツトム君』、『北風小僧の寒太郎』など、この番組をきっかけに有名になった作品はいくつかあるが、80年代を代表する一作として『コンピューターおばあちゃん』がある。

もともとはNHKの作曲投稿番組『あなたのメロディー』に投稿された楽曲で、後に作曲家の坂本龍一がプロデュースと編曲を行い、『みんなのうた』には珍しいテクノポップ調の楽曲に仕上がっている。

世界的に著名な坂本の参加、「コンピューター」と「おばあちゃん」という一見、ミスマッチな組み合わせの楽曲とシュールなアニメ映像が好評となり、本作は発表された1981年以降、何度も『みんなのうた』で再放送され、2004年にはアニメーション込みで通信販売限定のDVD化が行われた。

しかし、このDVDは発売から6年後の2010年、突然NHKの手により回収されてしまう。

原因はアニメーションに挿入された「卑猥な写真」であった。

アニメの中にはバイクに乗ったおばあちゃんが、宇宙を颯爽と走行しているのだが、その背景にはサブリミナル効果的に、西洋人女性の胸や尻、下着など姿といった卑猥な写真がコラージュされていたのだ。

問題の写真は約0.1秒ずつと肉眼ではほとんど確認できないレベルだが、NHK制作の子ども向けのアニメ作品に卑猥な写真が差し込まれているとなれば、これは大問題であり、問題のDVDの回収が行われたのである。

卑猥な写真がコラージュされていた理由は、恐らく当時のアニメスタッフがイタズラや遊び心で挿入させたためと思われている。

なお、『コンピューターおばあちゃん』は何度も『みんなのうた』で再放送が行われており、30年近くに渡り「卑猥な写真」を放送していた事にもなる。

その後、『コンピューターおばあちゃん』のアニメでは、問題の写真は全て差し替えられ、現在も再放送が行われている。

(リアルライブ発)








坂本龍一さん死去★71歳★「YMO」「世界のサカモト」がん闘病力尽く★ラストエンペラーで日本人初快挙…の巻







「世界のサカモト」と評された音楽家の坂本龍一(さかもと・りゅういち)さんが3月28日、死去した。

71歳。

東京都出身。

葬儀は近親者のみで営まれた。

スポニチ本紙の取材では都内の病院で亡くなった。

日本における坂本さんのマネジメント会社「キャブ」も「坂本龍一が去る2023年3月28日71歳にて永眠いたしましたした」と発表した。

20年6月に直腸がんと診断され、両肺などにも転移しステージ4と公表していた。

「キャブ」は「がんの治療を受けながらも、体調の良い日は自宅内のスタジオで創作活動をつづけ、最期まで音楽と共にある日々でした」とした。

1980年代に3人組バンド「イエロー・マジック・オーケストラ」(YMO)で世界的ヒット曲を生み出した。

映画音楽でも知られ、88年には米映画「ラストエンペラー」で米アカデミー作曲賞を日本人で初めて受賞した。

晩年はがん闘病が続いたが、最後まで音楽作りに情熱を注いだ。

昨年12月11日に全世界配信されたピアノのソロコンサートが、最後の公の場になった。

同9月中旬に事前収録。

体力面を考慮し1日数曲ずつ演奏し、数日かけてコンサートに仕立てた。

今年1月に「YMO」で共に活躍した高橋幸宏さん(享年71)が死去した直後には、SNSにグレーの画像を1枚投稿。

コメントはなく、それが逆に悲痛な思いをうかがわせた。

3月初旬には、東京・明治神宮外苑の再開発見直しを求め、東京都の小池百合子知事らに手紙を送った。

3月29日に配信された共同通信の書面インタビューでは「音楽制作も難しいほど気力・体力ともに減衰しています」と現状を明かしていた。

坂本さんは同28日に死去しており、その翌日にインタビューが配信された形になった。

14年に中咽頭がんと診断され、治療の末に寛解。

だが、直腸がんと診断された20年6月には、治療しなければ「余命半年」と告げられた。

手術では、最初にがんが発生した原発巣と肝臓2カ所、転移したリンパの腫瘍、さらに大腸を30センチも切除。

両肺に転移したがんを摘出するなど、1年で6回の手術を受けた。

その後は通院して投薬治療を続けてきた。

3歳からピアノを始め、小学2年の時にバッハの音楽に傾倒した。

東京芸術大作曲科を経て、78年に高橋さん、細野晴臣(75)とYMOを結成。

79年に当時斬新なシンセサイザーを使った音楽が海外で受け、世界ツアーを2度成功させた。

国内では竹の子族がヒット曲「ライディーン」を踊るなど、社会現象になった。

俳優としても活躍し、83年公開の映画「戦場のメリークリスマス」では、英ロック歌手のデビッド・ボウイさん(16年死去、享年69)と共演。

男性同士のキスシーンも熱演し、話題となった。

劇中音楽を手掛け、出演もした米映画「ラストエンペラー」(87年公開)では88年の米アカデミー作曲賞を日本人で初めて受賞した。

同作では米音楽界最高の栄誉とされるグラミー賞も獲得。

米エンタメ界2大タイトルを初めて受賞した日本人となった。

理知的で「教授」のニックネームでも親しまれた。

興味こそ原動力で、既成の価値観にとらわれず、やりたいと思ったことに全力で取り組んできた坂本さん。

最後まで文芸誌「新潮」での連載で音楽観や死生観を語るなど、敬愛するバッハのように情熱は尽きることがなかった。

(スポニチ発)









坂本龍一氏は、『コンピューターおばあちゃん』のプロデュースと編曲もしていた。

日本は惜しい才能を失った。

合掌。



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