更新。
以前、こちらであげていた自作お題を使ったものと、宿題だったもの。
意外と両方ともお気に入り。
ゆよゆっぺの曲は全部好きなんですが、この曲は偶に、無性に聞きたくなります。
歌ってみた、じゃなくてボカロのまま聴かせ続けられるってすごいことだと思うんです。
私の知っている範囲ならゆっぺや、ささくれP、マチゲやハチさん、黒髪ストロングP、あとkousさん、ずどどんPなど、この辺りの方々は本当にこの方々の『ボカロの声』なんだよなぁ。
ほかにもいらっしゃるんだけど、これ以上はきりがなくなりますね。
ボカロで語りてぇ。誰かぁ‥‥
時に、歴史にはぬぐい去ることを許さない絶望が存在している。
アウシュビッツで音楽が凶器となった。人が絶望するだけの暴力になった。
オーケストラがあった。死とそれに付随する絶望と狂気と降り掛かる暴力と、人を殺すための凶器となって。
死の国で死へと引きずられる中、明るい行進曲。
人をヒトでなくして嘲笑い哄笑して、なぶり殺すための音楽だった。
恐らくそれは、地獄、あるいは煉獄かで流れる彼ら以外の神への賛美歌。排斥されるべきを踏みにじるための賛美歌。
狂わずに生き延びてしまった。オーケストラ団の生き残りが歯を食いしばって言っていた。
そんな、そんなことが罪になってほしくないこと、でもそれが罪になる。そして生き延びた人をなにより重い十字の磔けの柱へと。
キリストなんかよりもそれは重いと思う。
『神さま! 音楽なんて!
こんな所で音楽なんて!』
アウシュビッツでそう叫んだ人がいた。そして音楽という凶器と罪が生まれたんだろう。
どうして、人は民族で、
どうして、人は民族としてヒトを殺すのだろうか。
私たちは考えなくちゃいけない。
アウシュビッツが、¨人間よ、考えるのだ¨と、言ったのだから。
→ 9月某日、講義にて『死の国の旋律』(NHKドキュメンタリー)を観賞。
でも、評論(批評)文は書き終わりました。
なんとか、形になった。
そしたら、以前書いた小説をきちんと形にします。
まずは、メルトダウン。そのあと唄姫のやつ。
これらは大学の講義(後者は卒業制作)で作ったもの。
形に出来たら、サイトに載せます。
寂しいからここにも最初の辺りを載せようかな。
んなもの興味ねえ
とか言われたらどうしよう・・・・
いらないですか?
いらないですかね・・・
あ、勿論アビスとかへタりアとかも書かなきゃ。
詩も描きたい。
書きたい!!
かきいたあああああああいいいいいいいい
自分の文才のなさに絶望です。
もっと、言葉が生まれてくるようになりたい。
頑張る。
言葉が出てこない。
無謀なことしかしていないように思えてきた。
なぜ、アンネ・フランクの生きた世界と現代の日本の女子大生がイコールに結ばれるような真似したんだろう。だって、無理だろ。女子大生が感じる「他者」とアンネの感じただろう「他者」は全く異なるもので、イコールでは絶対に結べない隔壁(ただの壁どころではない)がある。
そこを無理やり結び付けて、あまつ世界の暗さまで同じにして、アンネと「乙女(この小説で定義されている)」を同じ視点になるようにおろしている。
アンネはこんな思いではなかったはずだ。アンネの願った「他者」はこんなものではなかったはずだ。
正直これは、アンネに対する冒涜にも思えてくる。
対称をいくつも重ねて、イコールにしていく。そうして主人公は密告する。アンネ・フランクを。他者になりたいというアンネを。オランダ人になりたいというアンネを。
真実が二つ存在する時点でおかしいけれど、どうして、こんなことが出来るんだろう。
著者は本当にアンネを理解した?
他者でありたがる「ユダヤ人」を理解した?
民族の壁を理解した?
それが全然伝わってこない。
もし、著者の「血を吐く」ということをアンネがしていても、それは全く異なった血の吐き方だ。
それをこの著者はロジックを使ってあっさりと越えようとした。
そこが無性に腹が立つ。
たかが、そんなロジックで? なにを理解した気になってるの?
あああああああああああああああああああああ。
腹立つ!
詩が描きたい
文章が書きたい
小説が書きたい
書きたいのにかけないこの気持ちが悔しくて耐えられない。
くやしい。
苦しい。
どうしてかかせてくれない。
自分が憎たらしくてたまらない。