怒りに震えて泣いたことなどそうそうなかった。
オバマ大統領の広島訪問が現実味を帯びてきている中で、米国報道官が記者から「この訪問は謝罪と受け捉えられるのでは?」といった主旨の質問が投げかけられた時、報道官は、呆れたようなまるでおいおい何を言っているんだとも言いたげな表情でそのようなことはないと否定した。
純粋な怒りしかなかった。
かの国において、いまだ原爆投下は戦争を長期間させることのないようにとられた措置であり、正当化されていることも当然知っている。
けれども。
けれども、
あんまりじゃないか。
原爆によって命を落とした方、今尚後遺症に苦しむ方々、苦しんで、苦しんで亡くなっていった方々が、これを見てどう思うのか。
惨たらしく死ぬしかなかった彼らに。
あまりにも、あまりにも身勝手だ。
これが戦争なのだと、そう頭では思いつつ、しかし内腑で業火が治ることはないのだろう。
鎮火することはもうないのだろう。
謝罪のない鎮魂が、あり得るわけがない。
唐突ですがHTML5が廃止されることによってCSSの一部のタグが廃止されるようなのですが。
あれ。えっ。およよよ、と。なって。
エムブロさんのお知らせ、最近一切動いていないのでどうなっているのかなぁと思ったんですがどうなるんだろうか。
サイトともども困り果ててしまうと思うのだけれど、どうしたものか。
あれから、もうそろそろ10年経ちます。
私達は、今日新しい家族を迎えます。
ねえ、りりー。
私達は、ずっと淋しかった。あなたがいない10年、ずっと哀しかったの。
今でも、それは変わらない。ずっと変わらない。
でも、一区切り、ようやっとつけたよ。
さみしいねって笑えるようになったよ。
愛してる。りりー。
あなたに与えてもらったものを、また、繋いでいくよ。
うちの子たちはみんな人懐っこい子ばかりだったけど、今度の子たちはそうはいかない。
だから、めいっぱい、愛するわ。
めいっぱい与えてあげることしかできないから。
愛してる。りりー。
何よりもあなたに幸福を貰った私より。
まだ、涙はでてしまうなぁ。
自分のもっともげてものの部分はどうしたって変わらないわけで、受け入れてもあかんもので、
ならば、はやく、はやく終わらせたい。
淋しいのは嫌いで、だからぎゅうぎゅうと誰かに抱きつきたい。
けれど一人の時間もないと死んでしまう。
私とは、なんと面倒臭い生き物だろうか。