“今”を共有してる人とは同じ“過去”を共有出来るわけで。
“今”も“過去”も“未来”も共有出来たらいいよね。
素晴らしい“今”は、素晴らしい“過去”になって。
素晴らしい“今”は、素晴らしい“未来”に繋がっているのかもしれない。
わたしには“苦い思い出”はあっても、“忘れたい過去”はない。
これはいいことなのかな?
“忘れたい過去”って、例えばどんなの?なんて、聞けるはずない。
“忘れたい”のに、言わせることなんか出来ない。
過ぎたことは笑い飛ばせばいい、なんて、楽観すぎ?
過去は変えられないけど、未来は作れる。
誰かの想い描く未来に、わたしは存在するのかなあ?
結局何が言いたいかと言うと、誰かの未来にわたしが存在してればいいな、と思うの。
誰かとわたしの未来が、同じ未来だったらいいな、と思うの。
そんな“誰か”が。
わたしには今いないから、さみしいの。
ありがとう(;_;)