三月の末に父親が亡くなった。早朝、通勤途中の電車内で不吉な程に長々と携帯電話が着信を告げて振動していた。知らない番号からの電話を取る習慣はないし、ましてや朝の殺気だった通勤ラッシュの車内で電話に出ることなど出来るわけもない。
後から聞くと父親の携帯電話のアドレス帳に私の電話番号が残っていたらしい。父の兄がせめて誰かに連絡を、と電話をくださったそうだ。私の名前はなんて登録されていたんだろう、とか、これまでの十年以上に亘る年月の間、父は私に電話をかけようとしたことがあったのだろうか、とか、ぼんやりぼんやりと考えていた。
結局は母からのメールで事態を告げられたけれど、私には最初、葬式に行きたいという気持ちはなかったし、母も行かなくてもいいのでは、と言ったのだ。もはや、見知らぬ他人のような気がしていた。血の繋がりなどというものに特別な意味はないようだ。そうは言っても、と言う人もあるけれど、父親が死んだと聞かされた私の心境は「芸能人の誰それさんが死んだらしいよ」という、ワイドショーで取り上げられる毒にも薬にもならないありふれたゴシップの一つ程度の認識でしかなかったのだ。
けれど、妹は葬式にも出る、供花も贈るとのことで妹一人を戦場になるかもしれない葬儀場に出向かせる訳にもいかず、親類に「あの母親によく似た姉は花を贈りもしてこない」と母が悪く言われるのも、それを妹に聞かせるのも辛く思えたので、私も花を贈り、参列することにした。
第一、葬儀に出なければ、数年後、数十年後に私は葬儀に出させてくれなかったと母を恨むだろうという確信を抱いていたので、母親は私に行ってほしくはなかったのかもしれないけれど、そこは久方ぶりに自分の意思を尊重し、参列を決意した。
今まで葬式に出たことのない私は喪服の持ち合わせがなかった。母は、喪服などわざわざ買わなくていい。リクルートスーツで構わないと言った。30歳を目の前にした女がリクルートスーツなどを着て人前に出るということが、いかに滑稽かこの人には分からないのだろうか。私が悪目立ちすることは、母に恥をかかせ、母の面を汚す。片親だからろくに娘も育てられなかったのよ、と陰口を叩かれる要因になる。
葬儀の日も、母はパールをつけていかないと言い張った。私と祖母は普通はつけるものだから、と言ったのに、どうしてそんなものをつける必要があるのか分からないと頑なに拒んでいた。
あなた一人で生きているならそれでも構わない、と私は思う。私も妹も居ないのなら、それでも構わない。あなた一人が恥をかき、白い目で見られるのなら構わない。けれど、その場には私と妹がいるのだ。ましてや妹は、この先の人生をあの土地で過ごすのだ。田舎の人間の下世話なコミュニティにわざわざ格好のエサを投下してやる必要などどこにある。目立たずに。人と同じように。田舎においてはそれが正しい生き方なのだ。
どうして母にはそれが分からないのだろう。人と違うことが、そしてそれを外部に向けて見せてしまうことが、どれだけの損失を自分以外の身内に与えるか、どうして考えないのだろう。
何はともあれ、私は母には従わず、可愛らしいデザインの喪服を一着購入した。パールのネックレスは悩んだ末に、安い商品ばかりを取り扱う十代の女の子向けの雑貨屋さんでおもちゃみたいな数百円のネックレスを買った。これが私にとっての父親の価値そのもののような心持ちがした。
葬儀の日は、晴天だった。本当によく晴れていて、風だけがまだ少し冷たかった。母と私と妹はそれぞれ黒の洋服に身を包み、地元の葬儀場へと向かった。車は妹が運転をした。確実に時は過ぎているんだなあと私は不思議に思った。ずっと私だけが、どこかに実体を置いたまま、ふらふらと漂っている気がしている。私の記憶は高校生の頃で止まっている、ような気がする。記憶というよりももっと肉体的なもので、つまり、雰囲気という言葉が一番しっくりとくる。私が常に家族に対して感じている雰囲気は、自分が高校生の頃のあの空気なのだ。
だから、妹はまだ中学生(時々小学生の頃のイメージが浮かぶこともある)のままなのだ。母親は少し得体が知れない。母親は年々私に似てきた気がする。もしくは、私が母親に似てきているのかもしれない。なんとなく、いつかは同一個体になってしまうのではないかと、漠然とした不安を抱いている。
そういうわけで、妹が車を運転していて、私が助手席に座り、母が後ろで座っている状態は、私にとっては異様でしかなく、途方もない居心地の悪さを感じていた。車内には、まるで夢を見ているように頼りない現実感が充満していた。
悪夢と呼ぶほど大袈裟でもないけれど、何となく気の落ち着かない夢心地のまま、私たちは式場に到着した。受付の人が見えた瞬間、受付の人も親族なのだろうか式場の人なのだろうか、名前を書いたら元嫁と娘たちがきたとバレてしまって大変な騒ぎになるんじゃないだろうか、などと様々な恐怖と焦りに襲われて、今更のように間抜けなおもちゃのネックレスを付けてきたことがひどく恥ずかしく思えてきたのだった。数秒間、外そうかどうかと迷う。けれど、台帳に名前を記入し、香典を渡し、あれよあれよという間に、我々は受付を抜け、会場に入ってしまう。会場にはすでに二十人程の参列者が着席していた。前方はもちろん親族なのだろう。通路を挟んだその後方にまばらに人が座っていて、そのまた通路を挟んだ隣に我々は席を用意してもらってそこに腰掛けた。私たちの後ろにも何脚かパイプ椅子が追加され、そちらにもすぐに人が腰掛ける。聞くともなしに話し声が耳に入ってきて、すぐに父親の職場の人間だということがわかった。父親が仕事をしていたということに少し驚いた。死ぬ前の日に変わらない調子で電話をかけてきていたのに、とか、酒をよく飲んでいたから、とか、ぼそぼそと囁き合う声が聞こえていた。右隣に座った母が堪えきれずに泣いていた。けろりとしていた風を装っていたのは分かっていたので、なんとも思わなかったけれど、どうせ泣くのは分かっていたんだから、どうして無駄に虚勢なんて張るんだろうと不思議に思った。
しばらくして、女の人が私たちの所に駆け寄ってきて母の手を取りそこに膝をついた。なんとなく覚えがあるような、ないような、そんな顔をしていて、母に語り掛ける震える声に何食わぬ顔で聞き耳を立てていると、父の兄の奥さんだということがわかった。その人は私と妹の方に顔を向けて「大きくなったねえ」と言った。雰囲気に呑まれた私はその時にぶわりと涙が込み上げてきて、口許をハンカチで覆い息を詰めて頷いた。
私と妹はその人に案内されて、親族の座る前方の席へと導かれた。そこには祖母(と呼ぶのももはや違和感を感じる)や、叔父とおぼしき人、おじいさんやおばあさん、見も知らぬ青年やセーラー服を着た女の子が座っていて、みんな一様に私たちを見た。驚いたことに祖母はすぐに私と妹の名前を呼んでくれて、私は本当にそれが嬉しかったし、その瞬間にたくさんの不義理をしてきたことを酷く恥じ、詫び入った。と言っても、私の不義理なんてものは、私が心の中でこちらの家族を今まで十数年間一度も顧みなかったことぐらいなのだけれども。
ともあれ、葬儀は始まった。遺影、に映った父の顔を見上げることを私はひどく躊躇った。見ておいた方が後悔しないのか、見なかった方が後悔しないのか、後悔が少ない方を選ぼうと思い、結局二、三度目線を上げては下ろし、上げては下ろしを繰り返し、数秒だけ見てみることにした。父親はあまり変わっていないように思った。この人が私の父親なのかふうん、と声に出してみたくなった。こんな顔をしていたように思う。そう言われればそうだ。父親ってこんな顔をしていたなあ。
なんだか、私は初めて自分と血の繋がった他人を見たような気がした。母や妹や母方の祖母はもう、長年一緒に過ごしたために、当たり前だけれど他人ではない。と、ここまで書いて私は、自分の中には他人と自分、という二区分しか存在しないことに気付く。母も祖母も妹も私にとってはもはや自分という括りの中に含まれているようだ。それは同じ血の流れた女だけで構成される集団がもたらした悲劇のように私には感じられた。
その点、父親はどこまでも他人であった。懐かしいような気がしたけれど、それも真実はどうであったか分からない。人間の感情に色彩はなく、味も匂いもありはしない。懐かしい、と自分が感じていることを私には証明する術がなかった。だから、懐かしいと思ったのかどうか、私には分からない。
見よう見まねで焼香を行った。涙は止まらなかった。私はずっと悔しいと思っていた。この悔しいという感情だけは今もしっかりと思い出せる。なぜなら心の中でずっと私は悔しい悔しいと言い続けていたからだ。ずるい、卑怯だ、自分だけ、逃げて、ずるい。頭の中でそんなことを考えていた。
棺の蓋を開け、献花をした。目を閉じた父親の顔は、何度見てもやっぱりこんな顔をしていたような気がする、というぼんやりした感覚しか私にもたらさなかったけど、あ、なんだか眠ってるみたいだと思った瞬間に、眠っているときの顔には見覚えがあると強く思った。別に記憶の中のものと大差なかった。更けたとも思わなかった。お父さんがきれいに死んだのがなんだか私には不思議に思えた。もっとひどい退場の仕方を、するような気がしていた。
お父さん、お父さん、と何度か胸の内で読んでみたけど、何を言えばいいか分からなかった。会ってなかった間の報告でもしようかと思ったけど、この短時間で言うべきことと言う必要のないことの区別がつかなかったので、私は何やらむにゃむにゃと妙なことを呟きながら、途中で馬鹿馬鹿しくなってやめてしまった。
だけど、涙だけは止まらなくて、それは悲しみではなくやっぱりただただ悔しかっただけだった。父親と私はその人間としての脆さにおいて、瓜二つだったように思う。あの人は逃げて、逃げて、逃げて、どこまでも逃げて、酒を飲み続け、緩やかな自死を遂げた。死ぬために酒を飲んでいた。そう私は確信している。私を置いて、逃げた。一人だけ先に。ずるい、なあ。
私は自分のこの絶望のルーツが父親にあるということに関しては、唯一、疑う余地もない程に確信している。この血に流れる絶望ただ一つ、それだけが私があの人を父親だと認識する縁なのでした。
絶望