『山月記』
残っていたイメージが最後最後いいつつ頼みごとの多い面倒な男(虎)というところでしたが、人間あるある盛りだくさんで改めて自尊心との付き合い方が重要だよなーという感想を抱きました。
分かるところは多々あるんですよ。自分はこうありたいって理想を委託のと、現実そうはいかないギャップや温度差に心折れそうになるのとか。そのためになりふり構わず努力をするかって言うと、そんな自分をすっとばして理想に生きたいって横着なところとか。努力をすることが恥ずかしいっていうのかな、一生懸命になることに対する抵抗感が自意識もりもりで、自分はそうせずとも出来るはず、みたいな変な意識ね。あと、自分の事を理解している感満載で冷静に物言いしようとする自意識とか。うん。人間あるある満載だから、李徴に対して共感性羞恥を少なくとも抱くところはある。それ自体が李徴と同じ感覚を抱いているってところでもある。でも人間努力せず結果を出したいって思う人多いでしょ。努力した分だけ、結果
にかぎらず過程に思い入れを抱けるパターンも無きにしも非ず。だから李徴の、「先に自分の事頼んじゃった、妻子のほうを先に頼むのが普通だよね」って発言も、自意識高ェってなります。そうやって世間的にまっとうな人はこうあるべきだよねって考えが捨てきれないのが、あまりにも生々しい人間で、こういう要素が自分にもあるから、こうはなりたくないよねって、読み終わると自戒が生まれる作品ですね。為になる。 それだけ自分の外見的醜さすら嘆いているけど、袁サンから見たらそんな事割とどうでもいいし、結果虎の姿を醜いって思っているのが李徴本人だけなの、ホント、リアル。他人から見たら自分があれそれしているプライドなんて気にもならない程度で、それを気にする人は同じような問題を抱えているブーメ
ランだから、それほど人生悲観することなかれ。
自尊心がなさ過ぎても人生のメリハリがないし、ありすぎても面倒くさい。やるなら全力でやる事を自分で行えるか、とか、何パーセントが自分の中の成功ラインとして許せるかとか、これはたしかに中学か高校かの時に読んで思考に残るの、そこに危機感を覚えたからかもしれませんね。楽しかった。